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車の自動運転とエンターテインメント業界

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日産のCM(http://www.nissan.co.jp/BRAND/SP/)を見て驚いた。車の自動運転は、一部とはいえもう実用化したのか。すごいことだ。
いきなり一般車に搭載して大丈夫なのか?安全性は?事故を起こした時の法律は?などなど、大丈夫?問題ない?と心配に思うこともあるが、そんなことを言っていたら何も始まらないのだろう。自動ブレーキや駐車アシスト機能はすでに実用化されていることだし。
いや、実際のところ、本当に楽しみだ。どうやら、知らないうちに未来は近づいていたらしい。ワクワクする。

メディアでは自動運転が取り上げられることが多くなったし、技術の進歩やそれらによって生まれる影響について、よく議論されている。では、私のいるエンターテインメント業界では何が起きるのだろうか。どんな変化が待っている?

 こういった新しい技術は、エンタメとは関係ないと思われるかもしれない。だがドローンは既に撮影現場で使われているし、映画で使われるCGや3Dの技術は最先端のものだ。カメラ用のレールを引かなくていいので、セグウェイに乗って撮影する人も出ているらしい。エンタメ業界のいいところは、新しいものを比較的柔軟に取り入れるところなのだ。(とはいえ、映像系以外はそこまでは早くはないのだが。)

自動運転は、エンタメ業界にも安全性をもたらしてくれそうだ。例えば、映画やテレビドラマの撮影の際、カースタントで採用したらどうだろう。

車同士がギリギリまで近づいてカーチェイスするシーンや、クラッシュして爆発するシーンを思い出してほしい。迫力があってアクションには欠かせないものだが、現在は生身の人間が行なっているため、常に危険がつきまとう。撮影中にスタントマンが怪我をしたというニュースは、ちょこちょこ耳にするのだ。

だが、撮影に自動運転の車を使えば、そのようなスタントによる事故がなくなる。車同士をギリギリまで幅寄せして走らせたり、ドリフトさせたり、最終的にぶつけて爆発させたり。人が行うと危ないシーンも、危険なく撮影することができる。
また、誰が乗っても同じように走らせることができるため、スタントマンを使わず、そのまま俳優自身で役を演じることが可能だ。
もちろん、使うとすれば、人間が乗らなくても操作できる車か、正確に決められた動きで走る車なので、
人間が乗りつつ他の車や障害物とぶつからないように自動で走らせるという、本来自動運転が目指す姿ではないのかもしれないが。

また、もし車以外にも自動運転が導入できるとすれば、飛行機やヘリコプターのスタントだろうか。(これは費用がかかりすぎるだろうが…。)

 または、人間以外が車を走らせているようにも見せられる。人間の代わりに犬を運転席に座らせたら?動物が出てくるコメディー映画にも使えそうだ。

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これに対して、スタントマンの職を奪うという考えもある。だがそれはどの職に関しても同じだろう。人間は新しい技術を取り入れることで生活を豊かにしてきた。その過程では無数の職業が生まれては消えて行ったはずだ。失われると同時に生まれる職もあるのだから、一概に悪いとは言えない。技術が浸透すれば、エンタメ業界にも自動運転の技術者が必要となる。(「こういう動きはクールだが、こういう動きは自動運転っぽい」などを話すのだろうか、と想像すると面白い。)そして何より人の安全が守られるのだ。命に変わるものはない。


  その他考えられるのは、テーマパークなどのアトラクションだろうか。自動運転できる乗り物は、レールの上で動く園内のトロッコ列車やジェットコースターなどと代用できる。線路を引く必要がないので、日替わりでコースを変えられるし、園内の混雑状況によって通過ポイントを変更してもいい。シンプルに園内移動用の車もいいと思う。


(書いていて思ったのだが、こういうのは、自動運転というより、外部操作というべきか。というか、限られた条件の中で走らせるのであれば、両方が必要だ。自動運転で事故が起きないよう車を走らせつつ、ある動作を組み込んでいく。となれば、なんらかの方法で、自分以外の者が操作できるようになると怖い。自動車とコンピューターは、合わさると夢のような発展を遂げるが、セキュリティがしっかりしていないと悪夢になりそうだ。)


 いずれにせよ、限られた状況下で使用する自動運転車があっても良い気がする。エンタメ業界用の自動運転車だ。
 良い点としては、一般使用ではないので、そこまで多様な環境に適応させる必要がないこと、
そして悪い点は、一般使用ではないので、欲しいと思う人が限られ、誰も作りたがらないことだろうか。

うーん、技術が確立すれば、CGより安いだろうし、アクションがなくならない限り需要はあるだろうから、いいと思うのだけれど。しばらくは無理だろうか。

スマートフォンの未来化

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なぜ私たちは、下を向いてばかりいるのだろうか。山手線に揺られながら、ふと思った。


電車の中、街中で歩く人の手元、食事をするテーブルの上にも、スマートフォンは当たり前の存在になっている。
私自身、お気に入りのiPhoneを無くしたら、電車の乗り換えもできないし、仕事の電話をかけれないし、外出先で行くランチのお店も探せない。第一、(目覚まし時計が代わりにしているから、)朝起きることすらできない!
スマートフォンが必要不可欠な存在なのは、言うまでもない。

だが、ふと思ったのだ。スマートフォンは、とても便利で手放せないものになったが、今後もっと便利な形に変わっていってもいいのではないか。

昔と比べて、製品自体の厚さや重さは、信じられないくらい薄く、軽くなった。
だが、長方形で、手のひらサイズのデバイスを持ち歩くというスタイルは、昔からあまり変わっていない。何十年も経つので、そろそろ新しい形が生まれてもいいような気もする。


今のスタイルが少し窮屈だと感じる点の一つは、スマートフォンを持つ手(あるいは両手)が、塞がってしまうということだ。
指は動かせるし、軽いので別に構わないのだが、物を持っていることには変わりないので、どうしても困ってしまう時がある。
両手いっぱいに買い物袋とスタバのコーヒーを持っている時、ポケットから着信音が鳴り出したりしたら、もう最悪だ。

それに、ハンドルを持たなくて済む車が走る未来で、スマホから手が離せないなんて、ちょっと考えにくい。


その点、AppleWatchは、新しくて目を引いた。スマートフォンを、持つのではなく着ける、という発想が面白い。少なくともポケットから出し入れする必要もないし、両手が比較的自由になる。場所もあまり取らない。


同じ発想で、スパイ映画によく出てくるメガネ型のデバイスがあったら良いのにと思う。レンズを画面するのだ。どのように操作するのかは疑問だが、メガネ型カメラがすでに販売されているので、もしかしたらすぐ実現できるかもしれない。そして何よりかっこいい(気がする)。



そういう意味でいうと、画面を指でタッチして操作する、という方法も変わってもいいかもしれない。

今のスマートフォンで少し嫌だなと思うのは、操作中はずっと下を向いてしまうことだ。手で支えるので、仕方のないことなのだが、
視界を狭めてしまうし、なんとなく暗い感じがする。
下を見ながら、世界とつながる?どうせなら、前を向いて世界とつながりたい。


例えば、手元の画面をタッチするのではなく、空間をタッチすることで、文字が打てるのはどうだろう。

今のAR(拡張現実)やVR(仮想現実)の技術は本当に素晴らしい。
何十万円もする商品はもちろんだが、玩具メーカーから発売されている商品でも、画面上の物体に触れられることに、とても驚いた。しかも、手に着けるコントローラーはワイヤレスなのだ!
そうした技術を使って、空間上にキーボードを作ってタッチできないのか。目の前に広がる空間が画面になるから、手元の画面を見るより視野は広がるだろう。


他にも、目の動きで操作できるようになったら良いと思う。完全に両手が自由になるし、怪我をして動けない人でも、自分で友達に連絡を取ることができるだろう。
(※後々調べたら、 OptiKeyやFOVEなど、既に色々なものがあるそうです。勉強不足ですね…)


一番良いのは、脳波のようなものだろうか。頭で考えるだけで、その通りの文章を打ち込むことができたら、夢みたいだ。
頭に浮かんだ文章を、実際に目に見える形で出力しようとすると、どうしてもタイムラグが出てしまう。手はどうしても思考の速さに追いつけないからだ。そのラグさえなければ、より短い時間で、より多くの文を生み出すことができる。より効率的に作業を進められる。


こうして考えてみると、両手が自由になることと、下を向かなくて済むこと(手元の画面に縛られないこと)は、ぜひ実現ほしい点だと感じた。特に、両手が自由になることは、それだけで別の何かができるようになるので、重要な要素だろう。



このように、今後、少し新しくて、少し未来っぽい商品が出てくると嬉しいな、と期待している。スマートフォンが当たり前になった今、新しいワクワクが欲しいのだ。

ステージから降りた天才の姿ー「スティーブ・ジョブズ」(ダニー・ボイル監督、2015年、米)


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 この映画は、彼の素晴らしい才能を描いているわけではない。むしろ、逆だ。どちらかというと、彼の欠点を、弱さを、つまり人間的な部分を描いている。そこがとても良い。

 ジョブズが行った歴史に残る3回のスピーチ。1984年マッキントッシュ発表会、1988年ブラック・キューブ発表会、1998年iMac発表会。作中では、その直前にどんなドラマがあったのかを描いている。(スピーチのシーンを省いているのが面白かった。)


はじめに思った素直な感想は、「この人、正気じゃない」。作中でジョブズは、毎回スピーチ前に誰かと揉めている。これから発表する内容に明らかに支障をきたす事態が起こったり、会場中に怒号が飛び、誰かと決裂してしまう結果になったり。でもその直後に、彼はステージに立ち、あのプレゼンを行うのだ。あんなにたくさんの人と衝突し、あんなにたくさんの問題を抱えた中で、何百という人々の前に立ち、堂々とビジョンを語る。そんなこと、普通の人ならできない。たとえそれが、自分の頑固さが原因で起こった事態だとしても、だ。この人、やっぱり変わってる。そう思った。
 
だがジョブズを、一般人には理解できない“ただの”孤高の天才だと感じなくさせているのは、作品の描き方のおかげだろう。製作陣は、彼を華やかなステージ上から降ろした。カメラも、スポットライトも、拍手もない場所に。
 大歓声の中にいる彼と、舞台裏の彼。その差に驚き、切なくなるとともに、ほっとしたのも事実だった。そこに彼の人間性を見出したからだ。


SPOILER ALERT


印象に残ったのは、iMacの発表会前のエピソードだった。プレゼンが始まる直前に、ジョブズは喧嘩中の娘、リサと会う。大勢の前で言い争いになり、リサは「どんなにすごい実績を残していても、自分にとっては、娘が苦しんでいると知っても何もしてくれない、ただの卑怯者でしかない」と突き放す。するとジョブズは、コンピューターの“Lisa”の話を持ち出す。昔、この“Lisa”という名前は“local integrated systems architecture”の略で、娘の名前と同じなのは偶然だ、と言ったことがあったのだ。ジョブズが、あの時は嘘を付いた、お前の名前に決まっていると言うと、リサはなぜ本当のことを教えてくれなかったのか、なぜ自分が父親だと言ってくれなかったのか、と尋ねる。するとジョブズは、こう答えるのだ。
「わからない」「僕は出来損ない」だからだ、と。

 この映画の中で、彼が他人に弱さを見せた数少ない瞬間だった。とても感動的なシーンだ。(あとは、ウォズにブラック・キューブは失敗すると言われて、「僕の知らないことを言ってくれ」と言った時もだろうか。あれは皮肉めいていて、彼のユニークさが際立った瞬間でもあったが。)

 その場面を観たとき、彼はようやく大人になったのだと感じた。それまでは、きっと子どもだったのだ。我が儘な振る舞いも、絶対に自分の意見を曲げない頑なさも、他者の気持ちを考えず馬鹿にするところも。彼がスティーブ・ジョブズだということを除けば、小学生と変わりなく見えてくる。

 ある本の中で、こんなことが書いてあった。

…頭脳が明晰であることは 、大人の証だという錯覚があったためです 。しかし 、それはまったく正反対でした 。頭脳が明晰なのは子供の方ですし 、頭の良い者ほど 、成長は遅い 。大人になかなかなれないのです 。    (「四季 冬 Black Winter」森博嗣、2011)

 はじめこの文を読んだ時、よくわからなかったのだが、本作を観て、もしかしたら、その通りかもしれない、と思った。彼は子どものままだったからこそ、数々の商品を生み、アップルというブランドを創り出すことができた。子どもだったからこそ、“スティーブ・ジョブズ”という天才でいられたのだ。

( 思うに、大人はみんな子どもに憧れているのかもしれない。常識に捉われない発想を持ち、純粋で、まっすぐ、思うままに生きる。真似しようと思っても、私たちは彼らのようには生きられない。だが、その姿を見ると、思い出すのだ。そして近づけるような気さえしてくる。過去と呼ぶには遠すぎる自分に。自由に。
それが天才と呼ばれる人々に惹かれる一つの理由かもしれない。)


 そんなジョブズも、リサと対峙することで、大人になったのだと感じる。守らなければならないものに気付いたからだ。
 作中で、ウォズが「君は“スティーブ・ジョブズ”という男を演じようとしている」と言う場面があった。もしかしたら、天才でいることと、人間らしくいることの間で、悩んでいたのかもしれない。父親になるのことが怖かったのかもしれない。だからこそ、リサと向き合うその姿は感動的だった。



 このように、 全編を通して、父親としてのジョブズの姿を描いていた点も良かったと思う。リサが描いた絵を見つめるシーンや、舞台からリサを見つめるシーンは特に良い。とても人間味が出ていた。



 こういう話はもっと知りたいな、と思う。
新しい商品が世の中に出るとき、私たちはそれらが人の作った物だということを忘れがちだ。コンピューターなら、なおさら。無機質に見えてしまう。でもその無機質な物質には、必ず人の想いがこもっている。誰かのために、何かのために、こうしたい。もっと便利に、もっと良い世の中にしたい。そういう想いがあるからこそ、物は生まれるのだ。それを思い出させてくれる作品だった。



◾︎公開:2015年(米)
◾︎キャスト:マイケル・ファスベンダー(スティーブ・ジョブズ)、ケイト・ウィンスレット(ジョアンナ・ホフマン)、パーラ・ヘイニー=ジャーディン(リサ・ブレナン)他