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ステージから降りた天才の姿ー「スティーブ・ジョブズ」(ダニー・ボイル監督、2015年、米)


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 この映画は、彼の素晴らしい才能を描いているわけではない。むしろ、逆だ。どちらかというと、彼の欠点を、弱さを、つまり人間的な部分を描いている。そこがとても良い。

 ジョブズが行った歴史に残る3回のスピーチ。1984年マッキントッシュ発表会、1988年ブラック・キューブ発表会、1998年iMac発表会。作中では、その直前にどんなドラマがあったのかを描いている。(スピーチのシーンを省いているのが面白かった。)


はじめに思った素直な感想は、「この人、正気じゃない」。作中でジョブズは、毎回スピーチ前に誰かと揉めている。これから発表する内容に明らかに支障をきたす事態が起こったり、会場中に怒号が飛び、誰かと決裂してしまう結果になったり。でもその直後に、彼はステージに立ち、あのプレゼンを行うのだ。あんなにたくさんの人と衝突し、あんなにたくさんの問題を抱えた中で、何百という人々の前に立ち、堂々とビジョンを語る。そんなこと、普通の人ならできない。たとえそれが、自分の頑固さが原因で起こった事態だとしても、だ。この人、やっぱり変わってる。そう思った。
 
だがジョブズを、一般人には理解できない“ただの”孤高の天才だと感じなくさせているのは、作品の描き方のおかげだろう。製作陣は、彼を華やかなステージ上から降ろした。カメラも、スポットライトも、拍手もない場所に。
 大歓声の中にいる彼と、舞台裏の彼。その差に驚き、切なくなるとともに、ほっとしたのも事実だった。そこに彼の人間性を見出したからだ。


SPOILER ALERT


印象に残ったのは、iMacの発表会前のエピソードだった。プレゼンが始まる直前に、ジョブズは喧嘩中の娘、リサと会う。大勢の前で言い争いになり、リサは「どんなにすごい実績を残していても、自分にとっては、娘が苦しんでいると知っても何もしてくれない、ただの卑怯者でしかない」と突き放す。するとジョブズは、コンピューターの“Lisa”の話を持ち出す。昔、この“Lisa”という名前は“local integrated systems architecture”の略で、娘の名前と同じなのは偶然だ、と言ったことがあったのだ。ジョブズが、あの時は嘘を付いた、お前の名前に決まっていると言うと、リサはなぜ本当のことを教えてくれなかったのか、なぜ自分が父親だと言ってくれなかったのか、と尋ねる。するとジョブズは、こう答えるのだ。
「わからない」「僕は出来損ない」だからだ、と。

 この映画の中で、彼が他人に弱さを見せた数少ない瞬間だった。とても感動的なシーンだ。(あとは、ウォズにブラック・キューブは失敗すると言われて、「僕の知らないことを言ってくれ」と言った時もだろうか。あれは皮肉めいていて、彼のユニークさが際立った瞬間でもあったが。)

 その場面を観たとき、彼はようやく大人になったのだと感じた。それまでは、きっと子どもだったのだ。我が儘な振る舞いも、絶対に自分の意見を曲げない頑なさも、他者の気持ちを考えず馬鹿にするところも。彼がスティーブ・ジョブズだということを除けば、小学生と変わりなく見えてくる。

 ある本の中で、こんなことが書いてあった。

…頭脳が明晰であることは 、大人の証だという錯覚があったためです 。しかし 、それはまったく正反対でした 。頭脳が明晰なのは子供の方ですし 、頭の良い者ほど 、成長は遅い 。大人になかなかなれないのです 。    (「四季 冬 Black Winter」森博嗣、2011)

 はじめこの文を読んだ時、よくわからなかったのだが、本作を観て、もしかしたら、その通りかもしれない、と思った。彼は子どものままだったからこそ、数々の商品を生み、アップルというブランドを創り出すことができた。子どもだったからこそ、“スティーブ・ジョブズ”という天才でいられたのだ。

( 思うに、大人はみんな子どもに憧れているのかもしれない。常識に捉われない発想を持ち、純粋で、まっすぐ、思うままに生きる。真似しようと思っても、私たちは彼らのようには生きられない。だが、その姿を見ると、思い出すのだ。そして近づけるような気さえしてくる。過去と呼ぶには遠すぎる自分に。自由に。
それが天才と呼ばれる人々に惹かれる一つの理由かもしれない。)


 そんなジョブズも、リサと対峙することで、大人になったのだと感じる。守らなければならないものに気付いたからだ。
 作中で、ウォズが「君は“スティーブ・ジョブズ”という男を演じようとしている」と言う場面があった。もしかしたら、天才でいることと、人間らしくいることの間で、悩んでいたのかもしれない。父親になるのことが怖かったのかもしれない。だからこそ、リサと向き合うその姿は感動的だった。



 このように、 全編を通して、父親としてのジョブズの姿を描いていた点も良かったと思う。リサが描いた絵を見つめるシーンや、舞台からリサを見つめるシーンは特に良い。とても人間味が出ていた。



 こういう話はもっと知りたいな、と思う。
新しい商品が世の中に出るとき、私たちはそれらが人の作った物だということを忘れがちだ。コンピューターなら、なおさら。無機質に見えてしまう。でもその無機質な物質には、必ず人の想いがこもっている。誰かのために、何かのために、こうしたい。もっと便利に、もっと良い世の中にしたい。そういう想いがあるからこそ、物は生まれるのだ。それを思い出させてくれる作品だった。



◾︎公開:2015年(米)
◾︎キャスト:マイケル・ファスベンダー(スティーブ・ジョブズ)、ケイト・ウィンスレット(ジョアンナ・ホフマン)、パーラ・ヘイニー=ジャーディン(リサ・ブレナン)他